魚津ナマ声 「魚津市民の本音トーク をお届けします。」

地域の先輩の声

宮本 晃裕(みやもと あきひろ) さん

「山と海が近い
魚津の地形の魅力を知って、
若い人にも農業に携わってほしい。」

宮本 晃裕 (みやもと あきひろ)さん
年代
30~40代
職業
味噌製造業
移住区分
Uターン
家族構成
夫婦

現在の仕事、活動(地域活動)していること

 もともと60年ほど前から祖父と祖母が、このあたりの農家から自分のところのお米を使って味噌を作ってほしいと、家族が1年間に使用する50キロ、80キロといった味噌を委託加工で作っていました。
 14年ほど前に祖母から味噌作りを習い始め、完全にひとりでお店を出してやり始めたのは6年前。味噌作りは基本は冬場ですが、麹は年中作れます。夏は畑をしたり、秋は稲刈りで新米や大豆が獲れ、新しい材料で味噌作りを始めます。味噌だけでなく甘酒を作ったりするとなんだかんだ1年が経っていますね。
 これまで祖母たちが味噌を作っていた時は、販売も袋詰めもしていませんでしたが、祖母が作った味噌が美味しいと思っていたので、色んな人に食べてもらいたく、市内のスーパーや県外に出て、反応を見て、自分で販路を開拓してきました。今では東京のマルシェで毎年出店しています。

現在の仕事、活動の画像
魚津に対する想いの画像

魚津に対する想い

 勤めに出ていたり、大変だと感じたり、お金にならないと思う人がいるかもしれないが、若い人にも農業に携わってほしいです。
後継者が不足していることが今の魚津の課題だと思います。
都会の人は田舎に、田舎の人は都会に憧れを抱き、どちらもないものねだりだけど、これらのバランスを保てるようにしたらどうかなと考えています。
 古民家を改修し、農業体験ツアーなどを開催するなど、山と海が近いという地形を生かして都会の人と関われる仕組み作って、1人でも魚津を気に入ったと言ってくれる人がいればいいなと思います。

住んでよかったと思うこと

 ミュージシャンを目指して上京をし、魚津へは挫折して戻ってきました。
 都会はお金がないと生活も息をすることもできません。なぜここで音楽をしたいのか、本当に音楽で食べていけるようになりたいのか、ただ音楽が好きということであれば、東京でなくても富山でもいいのではないかと疑問に思い始め、魚津へ戻ってきました。
 紆余曲折ありましたが、魚津へ帰ってきて昔から知っている友人や近所の人と話せるという心地よさがあります。東京では、深く付き合える友達がおらず孤独に感じることもありました。それに、東京では、たとえば電車の時間を気にしたり、常に何かに迫られ心が落ち着かなかったのですが、ここは何もしなくても安心感を与えてくれます。特に家から見える景色が変わっていなかったこと、その風景が安心感をもたらせてくれました。
 当たり前すぎて気づかなかったことが魚津を出たことで気づくことがたくさんありました。

生活パターン

生活パターングラフ
ここが不便だと思うことの画像

ここが不便だと思うこと

 特に感じたことはありません。
不便とは言えないかもしれないですが、ご近所付き合いが昔ほどなくなり関係が希薄化していることは寂しいです。
昔は、近所のおばあちゃんが勝手に家に入ってきて、家族同然のように一緒に過ごしたり、買い物に一緒に行ったりすることもあり、近所で一体感があったように感じます。
 私は、両親より、祖父や祖母に育ててもらったり、近所のおばあちゃんに面倒を見てもらっていましたが、今は必ず保育園へ預ける時代となりました。昔のように近所でもっと協力して生活してもいいのにと感じています。
せっかく田舎に住んでいるので、ご近所の方やおじいちゃんおばあちゃんがいる環境をうまく活用して子育てをはじめとして、生活するうえで協力していくべきだと思います。

移住される皆さんに一言

 近所付き合いを大切にしてほしいです。
ただ、市内でも地区によって付き合い方は違うと思いますが、集まりに積極的に参加して顔を知ってもらうことが大切です。 地区の運動会やえざらい(用水路の掃除)、祭りなどイベントに顔を出すことで、近所の人との交流ができていずれ生活していくうえで助けてもらえることもあります。

移住される皆さんに一言の画像
魚津のここが好き!ランキング
第1位
魚が美味しい
第2位
水が豊富、きれい、美味しい
第3位
災害が少ない


なぜ魚津市に?移住したらこんなとこ!移住の先輩の声
魚津市のことなら何でも聞いて!地域の先輩の声
お電話の場合は魚津市役所 定住応援室
TEL 0765-23-1095
ページトップ