「安心してほっとする場所になりました。」
- 年代
- 10~20代
- 職業
- 会社員 アスリート
- 出身・今まで住んだことのある地域
- 千葉県→埼玉県→富山市
- 移住区分
- Iターン
- 家族構成
- 夫婦
移住までの経緯
3月まで、会社員としてトライアスロン競技の富山県強化指定選手として活躍されていた杉原史浩さんにお話しを伺いました。
大学2年生の時にトライアスロンに出会い、大学卒業後は会社員として昼間は仕事、プライベートの時間はトライアスロン競技者としてトレーニングを続けてきました。
転勤で富山市に引越ししてきたのは3年前。
富山で出会った人たちは、僕のアスリート生活を受け入れてくれ、そして応援してくれる。この温かさが本当にうれしく、2017年には日本選手権に出場。2018年には富山県代表として福井しあわせ国体に出場することができました。
中学生のころ、水泳選手として全国大会の壁にぶつかり、野球に転向しました。野球に打ち込み努力しましたが、チームの中で飛びぬけることができませんでした。ただ、走ることは負けませんでした。
僕はいつも全国大会に出場するという意思を持ちながら競泳や野球の練習をしていました。なので、県代表として全国大会に出場できた富山に来てからのトライアスロン生活は、最高に楽しい選手生活でした。
移住のきっかけ
今年(2019年)の2月に富山市内から魚津市に移住してきました。きっかけは、結婚です。奥さんの職場、実家に近い方が単純に良いと思ったのです。
それと、魚津市には若年移住者賃貸住宅助成金があったのも大きな理由です。
住んでよかったこと
魚津は本当に住みやすいです。僕の住みやすいというのは、メンタル的にとても過ごしやすいってことです。ほっとする、安心するっていう言葉がぴったりかもしれません。
そして、富山に住んでからは、視野が広がり、価値観も変わりました。東京には人が多いので僕みたいなスタンスのアスリートもたくさんいるので、やはり比べてしまっていました。でも、富山に来てからはのびのびと僕自身の価値観でアスリート生活を送ることができ、その結果、富山県代表にも選出されたのだと思っています。
苦労したこと・していること
ふとした時に車社会が寂しいなと思います。
関東に住んでいた時の移動手段は電車でした。友達と遠くに出かけるのも、もちろん電車。電車だと、道中ずっと一緒。車は現地集合、現地解散なので、なんだか寂しく感じてしまいます。
移住して驚いたこと
とにかく、「自然」が新鮮でした。
「自然が新鮮」だなんて言うと、富山の人は不思議に思うかもしれませんが、僕は、千葉県浦安市で生まれ育ちました。実家は、東京ディズニーランドのすぐそばです。なので、身近に自然はありませんでした。カエルの鳴き声さえ聞くことがありませんでした。
生活パターンの変化
移住前の生活と比較して変わったこと
生活リズムが規則正しくなりました。23時には電車がなくなりますし(笑)。
そして、海、山を見て気持ちが落ち着き、時間に追われることもなくなりました。
また、トレーニングの環境もかわりましたね。以前は、ランニングするには東京ディズニーランドの周りを走っていましたが、今は、その日の気分で山コース、海コースと決め自然の中を気持ちよくランニングしています。
魚津に住み続けたいですか?
僕は、今年からトライアスロン選手としてのアスリート生活を一旦離れました。
今までのトレーニングを続けていては、身体を壊すことが分かっていましたし、実際、憧れであった2017年の日本選手権出場を手にしたのに、選手権を目の前にオーバーワークにより身体を壊しました。そのため、選手権当日はくやしい結果となってしまいました。
なので、自分の身体を見つめ直し、40代、50代になっても現役のままで頑張るアスリートとしてあり続ける見せ方もあるのではないかと思ったのです。
魚津には、本当によくしてもらっているので、僕ができることで貢献していきたいと思っています。まずは、子供向けスポーツ教室を開催していきたいと思っています。
令和元年6月インタビュー