「温かいヒトと古い町並みが残っている町」
- 年代
- 30~40代
- 職業
- 小説家
- 出身・今まで住んだことのある地域
- ロシア(モスクワ)
- 移住区分
- Iターン
- 家族構成
- 夫婦子持ち
移住までの経緯
大学に進学した頃、日本のアニメファンだった兄に誘われ、日本大使館主催の5年間の日本語プログラムの試験に申込んだことがきっかけとなり、日本語の勉強を始めました。大学卒業後は、新聞社の記者、科学技術館での日本語通訳などしていました。
もう一度記者として、ステップアップしたいと思っていた頃に、日本の新聞社のモスクワ支局で働く機会を得た時は、とてもうれしかったのを覚えています。
また、私は日本の怪談話が好きなので、日本に来たときは心霊スポット巡りをし、怪奇現象体験をしたことのある日本人から話を聞いていました。そして、体験談等を元に小説を書き、ロシアで出版しました。
移住のきっかけ
魚津出身の夫と結婚してから、年に1度、1ヶ月程ですが日本に滞在するようになり、日本に住むのもいいなと思いはじめました。そして、魚津で1人暮らす、夫の母のことも心配でしたので、お金をためて魚津に移住しようと話合っていました。
ただ、新型コロナ感染症拡大でモスクワは2020年3月半ばからロックダウンが始まり、夫の空手道場は休業せざるをえなくなり、再開する見通しがたたなかったことと、夫の母の体調があまり良くなかったことなどが重なり、移住を決断し、一か月後には魚津にいました。
住んでよかったこと
魚津には、優しい人、気にかけてくれる人がとても多いです。
移住が決まり、準備を始めた頃、新型コロナ感染症が完全に終息していないのに、高齢者の多い小さな町に外国人である私が移住してきたら、周りの人はどう思うのだろう。嫌味を言われるのではないかなど、不安になってきましたが、その様なことは一切言われませんでした。逆に、助けてくれる人ばかりで本当にうれしいです。
苦労したこと・していること
苦労したことといえば、息子の保育園への入園準備です。
ありとあらゆるものに名前を書く名前地獄に苦しみ、得意ではない裁縫をしなくてはいけなかったからです。モスクワには、たくさんの縫物専門店があり、簡単に頼むことができたのに、魚津にはそのようなお店がないことに気づき、ミシンの使い方がわからない私は、手縫いで色々作りました。
また、魚津はバスのルートや本数がとても少ないので、車とは無縁の生活をしていた人や、運転免許証を持っていない人には、とても不便だと思います。
移住して驚いたこと
ロシアだと、保険証、ロシアパスポートなど所持しているのは、基本4つの書類だけですが、日本は、手続きの書類がとても多く、手続き後に送られてくる重要書類にも驚いています。
最近戸惑ったのは、年末調整の書類です。書き方がわからず、税務署に行きました。ただ日本は、「わからない。教えて」と言えば、皆さん丁寧に教えてくれるので助かります。
生活パターンの変化
移住前の生活と比較して変わったこと
ロシアでは、マンション暮らしだったので、ロックダウン後、庭がなかったのでずっと外で遊ぶことができませんでした。なので、魚津に来てからは思い切り外で遊ぶことができ、息子もとても楽しそうにしています。
ロシアの女性は、自分の時間を作る人が多いですが、日本に来てから出会う女性たちは、家事を優先にし、自分の趣味の時間は、2番目、3番目にする人が多いように感じます。私は「ヒト」に興味があり、色んな方と関わることが好きなので、モスクワにはたくさんの仲間がいました。魚津でも色んな方にアタックして仲間を増やしていこうと思っています。
魚津に住み続けたいですか?
はい。住み続けます。
そして、もっともっと魚津の町を歩きたいです。
モスクワの人たちは散歩が好きで、3時間くらいは楽々歩きます。歩くことが遊びみたいな感じです。また、現在書いている、怪談話の小説と、魚津での暮らしを書いた本を出版したいと思っています。
令和3年1月 インタビュー