
「魚が好きすぎて魚津に移住しました」
- 年代
- 30~40代
- 職業
- スーパーの鮮魚のお仕事
- 出身・今まで住んだことのある地域
- 京都府、香川県
- 移住区分
- Iターン
- 家族構成
- 独身
移住までの経緯
もともとは魚が苦手だったのですが、15年ほど前に釣りを始めたのをきっかけに自分で魚を捌くようになり、魚が好きになって地元で魚屋さんに転職しました。休日は巨大魚を狙って県外へ夜釣りに出ることもありました。たくさんの魚に出会い、魚の知識も増えていくうちにますます魚のことが好きになり、魚検定にもチャレンジしました。
香川県に住んでいたので、瀬戸内海にはいない珍しい魚を目にするたびに、太平洋や日本海にいる魚に出会いたい、そんな海の近くに住みたい、という気持ちが強くなっていきました。
移住のきっかけ
2022年春、仕事のことで悩んでいた時期にたまたま魚津市内にあるお寺の住職さんの動画をYouTubeで目にし、涙が出るほど感動しました。東京で講演会が行われた際に住職さんにお会いしてお寺へ行ってみたいという思いが強まり、魚津市を訪れる計画を立てているなか、偶然Facebookで魚津市場で仲買をしている方の投稿を目にしました。2023年春に初めて魚津市を訪れ、同年夏に二度目の魚津へ訪れた時そのご縁で魚津市場を案内してもらいました。今まで見たことないくらいキラキラした魚に魅了され、さっきまで富山湾を泳いでいた魚が今自分の目の前にいるという体験に感動し、その日に魚津市へ移住することを決意。その年末には勤めていた会社を退職、翌年の4月に魚津へ移住しました。



住んでよかったこと
魚津市場に行けることです。この市場は一般の人でも見学可能なので魚の観察やセリ見学をさせてもらっていて、それが休日の楽しみのひとつでもあります。また魚津は魚の種類が豊富で、近所のスーパーでは珍しい魚がたくさん並んでいて、それが買えることが嬉しいです。
移住するきっかけとなったお寺の住職さんに会えることができるのもよかったことです。そのお寺からつながるご縁で多くの友人ができ、今は魚津水族館で、缶バッジづくりや魚拓のワークショップのお手伝いなどのボランティアもしています。
苦労したこと・していること
これまであまり雪が降る地域に住んだことがなかったので、初めての大雪には苦しみました。雪道の運転もしたことがなかったので怖かったです。特に車の上に積もった雪を出勤前に下ろすので普段よりも早起きしなくてはいけないことが少しつらいです。
住み始めて1年間ほどは知り合いが少ないことで不安や寂しさを覚えることもありました。県外での就職が初めてで県民性の違いや方言が分からなくて苦労するときもありますが、今ではたくさんの友人に支えてもらっています。


移住して驚いたこと
とにかく魚の種類が多いことに驚きました!日本海側には約800種類、そのうち富山湾には約500種の魚がいるといわれています。市場に行くと、時期によってはサバやアジなどが入った大きなタンクが山積みにされていて、初めて見たときはその多さにビックリしました。普段は見られないレアな魚がいることもあります。
他には、融雪装置が数多く設置されていること。移住前に想像していたよりも様々な場所で対策が行われているので、雪に対する不安が和らぎました。ちなみに魚津は昆布文化が盛んです。パンやおにぎり、餅にも昆布が入っているので、見かけた際はぜひ!
生活パターンの変化


移住前の生活と比較して変わったこと
地元に住んでいる友達や家族に魚津ライフを伝えるために、ブログを書きはじめました。魚津市場や魚津水族館をはじめ、お寺の行事に参加したことや自宅で魚を捌く様子などを書いています。今年初めて見た魚津の「たてもん祭り」ではみんなで伝統を守り続ける姿に感動し、海上花火も含めて3日かけて書き上げました。「センネンダイけいこ」の名前でブログを書いているので、魚津市に興味があったら是非読んでみてほしいです!





魚津に住み続けたいですか?
はい。「天然のいけす」と呼ばれる富山湾のすぐそばに住んでいることが今でも嬉しくて落ち着きません。秋はクエ、冬はメダイ、春はサクラマスなど、他では手に入らない魚津の魚を買って自宅で調理している時間が一番楽しいです。頭とカマから取れる龍の姿にそっくりな骨と、魚の形をした骨をコレクションするのが好きなので、これからも富山湾の魚シリーズをどんどん増やしていきたいです。
職場からは立山連峰と富山湾が見え、四季折々変わる景色を楽しみながら通勤をしています。遠くから支えてくれている家族や友人、魚津で出会ったたくさんの素敵な友人に、心から感謝しています。これからも富山湾の魚に、そして魚津市に情熱を注いでいきたいです。